大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所小倉支部 昭和52年(ワ)558号 判決 1981年4月23日

原告 下田あき子

被告 土田幸子

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一  原告

被告は原告に対し別紙物件目録(一)ないし(一四)記載の各不動産につき福岡法務局北九州支局昭和五一年一二月一三日受付第三七三一〇号をもつてされた被告名義への所有権移転登記及び同目録(一五)ないし(一七)の各不動産につき福岡法務局門司出張所昭和五一年一二月一六日受付第一二九八九号をもつてされた被告名義への所有権移転登記を、いずれも原告持分一〇分の三、被告持分一〇分の七とする所有権移転登記に更正登記手続をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二  被告

主文同旨の判決

第二、当事者の主張

一  請求原因

1  別紙物件目録(一)ないし(一七)記載の各不動産(以下「本件各不動産」という。)は訴外土田久一が所有していたものであるが、同訴外人は昭和五一年一一月二九日北九州市門司区○○×丁目××番××号において死亡した。

2  右訴外土田久一は、昭和五〇年九月ころした遺言によりその財産の一〇分の三を原告に対し包括遺贈し、原告は右包括遺贈により本件各不動産につき一〇分の三の持分権を取得した。

3  しかるに、訴外土田久一の妻である被告は、別紙物件目録(一)ないし(一四)記載の各不動産につき福岡法務局北九州支局昭和五一年一二月一三日受付第三七三一〇号をもつて、また同目録(一五)ないし(一七)記載の各不動産につき福岡法務局門司出張所昭和五一年一二月一六日受付第一二九八九号をもつて何れも相続を原因として被告単独名義に所有権移転登記を経由している。

4  よつて、原告は相続回復請求権に基づき被告に対し本件各不動産につき右被告単独名義の所有権移転登記の原告持分一〇分の三、被告持分一〇分の七とする所有権移転登記への更正登記手続を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は否認する。

訴外土田久一がした遺言は、同訴外人の「正味遺産のうち三〇パーセントを渡す。」となつているが、その趣旨は遺産の正味額の三〇パーセントに相当する額の金銭的請求権を賦与するというものであり、右は特定遺贈である。

3  同3の事実は認める。

三  抗弁

1  訴外土田久一が原告に対し包括遺贈をしたものとしても、それは次に述べるとおり、原告との間の不倫な関係を維持継続するためにされたものであつて、公序良俗に反し無効である。

すなわち、訴外土田久一と被告とは昭和九年三月五日婚姻し、六人の子供に恵まれ、同訴外人死亡まで四二年間夫婦関係に破綻を来たすようなことはなかつたのであるが、同訴外人は死亡する数年前から内密に原告と情交を結び、不倫な関係を持つに至つた。ところで、原告は昭和三四年一一月三〇日に婚姻した夫(下田義一)のある身であり、しかも、訴外土田久一と原告とは三〇歳もの年齢差があつて、本件遺言がされたとされる昭和五〇年八月二二日には同訴外人は既に七〇歳に達していたのである。このような状況にあつて同訴外人が原告との関係を維持するためには金銭その他のものを原告に贈与するなどしなければ不可能であつたものとみられ、本件遺贈が原告との不倫な関係を維持するためにされたものであることは明らかである。

2  また、本件においては訴外土田久一の相続人間で遺産分割は既に終了しているから、原告が包括受遺者の地位にあるとしても、民法九一〇条の類推適用により原告は価額のみによる支払の請求権を有するにすぎないというべきである。

右民法九一〇条は、後に相続人であることが確定した者があらわれた場合において、既にされた遺産分割の効力を維持しようとする趣旨に由来するものであるから、被認知者以外の本件のような場合にも右規定は類推適用されるべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実のうち、本件包括遺贈は訴外土田久一が原告との不倫な関係を維持継続するためにされたものであるとの点は否認する。

同訴外人が本件包括遺贈をしたのは、昭和三八年秋、ホテル・○○○○において原告と強いて肉体関係を結んだことに対する謝罪、原告の平和な家庭生活を破壊したことに対する償い、昭和四三年夏ころ以降の原告の同訴外人に対する献身的な奉仕に対する感謝の気持や原告からの九、〇〇〇万円の借入金を返済し、自分が死亡した後の原告の生活の安定をはかるといつた趣旨からであり、それは決して原告との不倫な関係を維持継続するためにされたものではない。

2  抗弁2は争う。

第三、証拠関係

一  原告

1  甲第一号証の一、二、第二号証の一、二、第三ないし第一五号証を提出

2  原告本人尋問の結果を援用

3  乙第一、二号証の成立は認める。乙第三号証の成立は知らない。

二  被告

1  乙第一ないし第三号証を提出

2  証人小沢キイの証言を援用

3  甲号各証の成立は知らない。

理由

一  訴外土田久一が本件各不動産を所有していたこと、同訴外人が昭和五一年一一月二九日死亡したこと、本件各不動産につき原告主張のとおり同訴外人の妻である被告の単独名義に所有権移転登記がされていることは、当事者間に争いがない。

二  証人小沢キイ、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第一号証の一、その方式及び趣旨により公文書と認められ真正に成立したと推定される甲第一号証の二によれば、訴外土田久一は、昭和五〇年八月二二日付で「小生生存中のあき子(戸籍上下田あき子)の誠意に対して小生死後正味遺産の内三〇パーセントを渡す様」にとの遺言をしたことが認められる。そして右は右訴外人が原告に対しその財産の一〇分の三を包括遺贈する趣旨のものと解するのが相当である。

被告は、右遺言の趣旨は正味遺産の一〇分の三に相当する額の金銭的請求権を遺贈するというにあると主張するが、一般常識に照らして右文言をそのように解することはできないし、特に右のように解すべきことを示唆する証拠もないのであつて、右主張は理由がない。

三  被告は、右包括遺贈は、訴外土田久一が原告との不倫な関係を維持継続するためにしたものであるから、公序良俗に反し無効であると主張するので、以下この点について判断する。

成立に争いがない乙第一、二号証、証人小沢キイの証言、原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

1  訴外土田久一は明治三七年一〇月二五日生れで、昭和九年三月五日被告と婚姻し、その間に六人の子供をもうけた。同訴外人は、終戦後朝鮮から引揚げてからアイスクリームの製造販売業を始め冷暖房機具の製造販売、遊戯場の経営等各種の事業を手がけ、昭和三一年ころから昭和四一年ころにかけてはそれらの事業も隆盛にあつて同訴外人はかなりの資産を作つた。しかし、昭和三五、六年ころ設立した清涼飲料○○○○○○の製造販売等を業とする会社の業績が悪化したこと等により多額の負債を抱えるようになり、同訴外人は昭和四八年までに右清涼飲料会社等を手放し、資産を処分して負債整理をし、それ以後は果樹園の○○農園と遊戯場経営の○○○○株式会社の業務に事念することになつた。

2  原告は昭和八年一月三日生まれで、昭和三四年一一月三〇日八幡で鉄鋼業を営んでいた訴外下田義一と婚姻したが、昭和三五、六年ころその事業が倒産するに至り、訴外下田は負債を整理し、新たに印刷業を始めるため住居を東京に移転した。

原告は東京で昭和三八年六月中旬ころ夫の紹介により訴外土田久一と知り会い、夫と共に五回位会食をしたりしているうち、個人的に食事の誘いを受けるようになり、断わり切れずに同年秋ころ同訴外人と会食したが、その機会に同訴外人は原告に対し無理に情交を迫り、肉体関係を持つた。原告はその後半月位してそのことを夫にうちあけ謝罪したが、夫は原告を許さずそのとき以降両者は事実上の離婚状態になつた。原告は、当初訴外土田久一に憎悪を感じていたが、同訴外人が正式に結婚して社会的責任をとると言つて繰り返し謝罪の気持を表わし、交際を続けてほしい旨懇望したので、次第に憎悪の気持ちが和らぎ逆にやさしさも感じるようになつて同訴外人と交際し、情交関係を持つようになつた。そして、昭和四三年夏ころから訴外土田の希望により同訴外人が経営する○○農園に近い豊前市に借りたアパートに出入りするようになり、そこと東京とを往復し、昭和五〇年七月ころまでは一年の内四分の一位の期間を豊前で過して同訴外人と不倫な関係を継続し、昭和四五年一月同訴外人が病気のため、東京の病院に入院したときには付添つて看病に当たつたりした。また原告は昭和五〇年八月ころ同訴外人が従来情交関係のあつた他の女性と関係を絶つてからは豊前市に来たときは右農園にある同訴外人の別宅で過すことが多くなり、そのようにして同訴外人とその死亡のときまで夫婦同様の関係を継続した。

原告は同訴外人との右のような不倫な関係を早く清算しなければいけないといつも心に思つており、同訴外人が入院したときには本気でそのことを考えたが、同訴外人は、自分が社会的責任をとるまでは我慢してくれるように言つて原告と関係を続けることを強く希望したため、原告もその情にひかされてずるずると関係を継続する結果となつた。

3  同訴外人は、豊前での原告との生活費を支出した外送金するなどして原告に対し相当な経済的援助をしていたが、死亡する一年ばかり前の昭和五〇年九月ころ前記農園の別宅において原告に対しこれは自分の死後の指図書であるからこのとおりにしてほしい旨言つて前記遺言書を密封した封筒に入れて預けた。

しかし、同訴外人は、正式に結婚して社会的責任をとるとの原告に対する約束は果たそうとせず、原告と情交関係を続ける一方で被告とは従来どおりの夫婦生活を続け、最後は門司区にある本宅で死亡するに至つた。

以上の事実が認められる。

右事実によつてみれば、原告と訴外土田久一とはいずれも配偶者がある身でありながら、昭和三八年秋ころから同訴外人が死亡する昭和五一年一一月ころまで情交関係を続けていたものであり、右関係が始まつた当時既に五八歳を過ぎていた同訴外人は、二九歳も年の開きのある原告の気持をつなぎとめておくために経済的その外の面でいろいろと配慮したことがうかがわれる。本件包括遺贈は右のような不倫な関係にあつた同訴外人から原告に対しされたものであつて、前記遺言の時期が、訴外土田が他の女性との関係を絶ち、既に七〇歳に達していたものの原告を慕う気持が一層強くなつて原告と前記農園の別宅で一緒に過すことが多くなつた時期に符合していること、右遺言の内容が自分の生存中原告との関係が続くことを前提にしていると認められることを考え合わせると、右包括遺贈は、原告と強いて関係を結んだことに対する謝罪とか、従前世話を受けていることに対する感謝の気持が含まれていることを否定できないとしても、それに止まるものではなく、原告との情交関係を維持継続したいとの同訴外人の強い希望に原告が応じてくれるであろうことを前提にしてされたものと認めるのが相当である。

ところで、右のような不倫な関係に由来する情誼に基づきそれを維持継続することを前提としてされる相手方への財産的利益の供与は、それが両当事者の関係の態様、倫理的非難の程度・両当事者間の資力、利益供与者側の配偶者等法定相続人たるべき者の立場等の諸般の事情に照らし、社会通念上相当なものとして許容されるという場合を除いて、公序良俗に反し無効であるといわなければならない。

これを本件についてみるに、前記認定の事実によれば、訴外土田はその妻である被告とは紆余曲折はあれ結婚以来四〇年以上にわたつて生活を共にしてきたものであるのに対し、原告とは事業に成功し、資産もできてから後に知り合い、一〇年間位交際があつたにすぎず、しかも、原告は、その間東京三に対し豊前一の割合で生活し、訴外土田と一緒に過すのは主に豊前にいるときだけであつたもので、同訴外人と苦楽を共にし、家族以上の世話をするというような間柄ではなかつたものと認められる。また、前示のとおり原告と同訴外人にはそれぞれ配偶者があり、後者の間では普通の夫婦関係が続いていたこと、原告と訴外土田久一とは二九歳も年の開きがあつたことを考えると、分別盛りの両者の情交関係は極めて不自然で倫理的に強く非難されるべき関係であつたといわざるを得ない。

更に、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第三号証、証人小沢キイの証言によれば、本件各不動産は訴外土田久一の遺産の主要なものであるが、そのうち小倉北区○町の各不動産は○○産業の遊戯場等として使用されているところで、同訴外人死亡後は被告及びその娘婿がその事業を引き継いでいること、また門司区の各不動産は訴外土田の居宅及びその敷地ないしその周辺の土地であり、右居宅には被告が居住していることが認められ、右によれば本件包括遺贈により訴外土田久一の相続人らの経済生活は多大の影響を受けるものと予想される。他方原告が既に訴外土田久一の生存中同訴外人から相当の経済的援助を受けていたことは前認定のとおりであるし、原告本人尋問の結果によれば、原告は同訴外人の死後も経済的に困窮するという状況にはなく、実父から毎月当たり五〇万円程度の仕送りを受けて生活していることが認められる。しかして、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第一四、一五号証、原告本人尋問の結果によれば、訴外土田久一の遺産は本件各不動産だけでも時価数億円を下回らず、負債を差引いてもかなりの財産が残るものと認められるところ、右認定の各事実に照らしてみると、原告に対し妻の相続分にも匹敵する遺産の三〇パーセントを包括遺贈するというのは、強いて関係を結んだことに対する謝罪や従前の世話に対する感謝の気持が含まれているとしても、贈与の態様が著しく不合理であるばかりでなく、その内容も過大であつて、社会通念上相当なものとは到底認めることができない。

なお、原告は、訴外土田に対し約九、〇〇〇万円を貸付けており、右包括遺贈にはそれを返済する趣旨が含まれているかのように主張している。ところで原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第三ないし第七号証、同本人尋問の結果によれば、原告名義で訴外土田宛に一、八〇〇万円が送金されていることが認められ、原告本人は右金員をも含め訴外土田久一に対し九、〇〇〇万円位を貸付け、それが未返済であると供述しているが、右供述はにわかに措信できず、他に原告の同訴外人に対する貸付金の存在、その額についてこれを明らかにする証拠はない。したがつて本件包括遺贈に原告に対する借金返済の趣旨が含まれているとは直ちに認めることはできない。

そうすると、本件包括遺贈は公序良俗に反し、無効であるというべきである。

四  以上によれば、原告の本訴請求は失当であるから棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 諸江田鶴雄 裁判官 青柳馨 竹中邦夫)

別紙物件目録<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例